Big Boy

本日。
本屋に行ってきた。
ぐるりと店内を一周したところ
あちこちのコーナーで「死にたい」や「生きるのが辛い」というようなフレーズが、帯や表紙でおどっていた。


この「死にたい」ブームはいつまで続くのか、
そのくせ、いつまで経っても自殺は憧れのものにはならず、「でも、死にたいんだよなぁ〜(はぁと)」と、難しい注文を出されて
「結局おどれらは いつ死にたいんじゃ?!」と神様もご立腹です。


ここからは個人的な観点で申し訳無いのですが、
現代日本において、生きていく事に関し、後ろ向きな思い(迷い、悩み、しがらみ、空しさ、怒り、嫌悪、下痢など)
を少しでも抱えて生きている人達は総人口の9割を占めているように思えてしょうがありません。
(後の残りの1割の生き方上手な人達は我々の敵です)


その「抱えてるレベル」というのは、大から小まであると思うのですが、
みんながみんな、自分が抱えてるレベルを「大」と思っているような気がして、
こりゃまたたまらんのです。(こりゃまた下痢)


ではここで抱えてるレベル「小」な人の代表的な症状を挙げてみましょう。
今日も今日とて「はぁ…」とため息ついて、友人、知人、他人を横目でやり、
「アイツら何の悩みもなく楽しそうに生きてんなぁ」と、うらやましくも腹立たしく思う。
実は、その友人、知人、他人も自分とまったく同じことを考えているのです。


互いが互いに同じことを考えつつ生きており、
互いに同じ悩みを抱えているものの、それに気付かずに平行線をたどっているのです。
心を覗くことができる第三者がそれを見たら、もうタッチの南ちゃんの心境です「もうっ!ふたりとも鈍感なんだからッ!」


このような、なんで俺だけが…という症状が出たら、「なんで俺だけが」と胸に大きく書かれたTシャツを着れば
みんなで慰めあいをすることができるはずなんですが、そんなの着る度胸なぞ存在するはずもなく
深い深い個人のドツボにハマっていくのです。


ドツボの先には、それまでの過程で蓄積されたストレスによる病気、疾患等
実際に生きていく上での支障が生まれ、新たな悩みにまたまた苦しまされてしまう、
そういうゴール地点が待っているのです。


さっきから僕のケツメドが痛むのは、きっとそのせいに違いありません。