誠意大将軍

本日。
会社帰り、混雑する深夜の電車内、眼前の酔いどれ壮年男性の口より出る、
もの凄い吐息を鼻で吸いこみ続け、それの我慢の限界が来る ほんの直前、
電車は駅へと滑り込み、僕はホームへと降りることができた。


ホームの情景がボヤけて見えるのは、さっきの吐息のせいで意識が薄らいだのではなく、それは眼鏡を外していたので。
ボヤけていた方が都合の良い時もある。


駅改札付近より、何やら声が聞こえてくるような気がしてたら
実際、男女カップルらしき人が なにやら騒いでいた。


女の人が男の人の腕をグイグイ引っ張ってたっぽかったので
よくある痴話ゲンカかなあ、と思い横目でチラとやりつつ、通りすぎる。
お熱くてやり切れない、眼鏡を外しておいて良かった。

痴話ゲンカを通りすぎ、改札を出た後、「駅員さん、この人、痴漢なんです!」
と、さきほど横目でチラっと流した痴話ゲンカ カップルの女の人が
彼氏と思っていた男を引っ張りながら、改札横の駅員小屋みたいなとこに座っている
駅員に向かって大声を出していた、(それは火曜サスペンスのワンシーンそのままに)
痴話ゲンカじゃなかったのか・・・。


近視の僕が、よくよく薄目で見てみると、男は明らかにモテそうにもないタイプであった(この説明でどんな男かイメージお願いします)
年は30代、もしくは恐ろしいが20代後半。
行きがけに鬢付け油を霧吹きで吹きかけてきたような頭、なおかつハゲ散らかしている。
体形は大肉中背。服装は、乱れたタータンチェック模様のネルシャツに、
太いボンタンのようなチノパン(綿パン) 肩には、ヘドロ色のショルダーバッグをかけている、というより ぶら下げていた。
紛れもなく痴漢然とした「痴漢ビジュアル」 これぞまさにという感じだ。


痴漢ってのは実に嫌な犯罪で、
僕も満員電車内で友人にケツを揉まれたことがあるんですが、
本当に気持ち悪くて、不快で、揉んでるのが友人でも声が出せず、最悪なんです。


その最悪な痴漢犯罪者の腕を、被害者の女性がつかんでいる。
他にも痴漢の脇に、2人くらい男性サラリーマンが取り囲んでいた、目撃者だろうか?


ああ、とりあえずは一件落着だなと思い、野次馬願望を殺し、そして
今ここで眼鏡をかけたら野次馬丸出しだぞ〜い、という言葉が頭をよぎったので
眼鏡をかけたい願望も同時に殺し、僕は現場を背にして家路を急いだ。
(チッ、やっぱり眼鏡はかけておくべきだった)


その時、背後で またも大声が。
振り向くと、どうも その痴漢がスキを見て逃げ出したようで、
それを脇にいた男性サラリーマンが追いかけ、
痴漢は駅出口の階段(短い)より、頭から転げ落ち、
追ってきた男性サラリーマンが階段上より、痴漢にニープレスする形で
「逃げてんじゃねえぞ! コラ!」などと、荒々しい言葉を浴びせつつ
痴漢の頭を地面に押さえつけていた。


実に正義感の強い男性サラリーマン、美しい風景だなあ。




だけど、ここでちょっと思った。
最近は痴漢冤罪も多い、痴漢をする人も嫌だけど、痴漢冤罪を仕掛ける人も同様に嫌だ。
なんの罪も無く牢屋に入れられ、冤罪なのに人生の全てを失った人というのも
理不尽だけど何人かいる。


もし、もし、眼前の美しい風景が冤罪だったならば(その可能性はものすごく低いに決まってるが)


もし、さっきの火曜サスペンスのような大声を出している女性と
鮮やかなニープレスをかました男性目撃者が知り合いとかで
なんかイライラしてたため、示談金をゆするとか、そんなんじゃなく
ただ単純にストレス解消目的に、そういう冤罪イタズラをしていたとしたら。


それとも、痴漢されてないが、なんか満員電車で痴漢されてると勘違いした。
もしくは犯人は別の人物だったが、目の前の男が、あまりにも「痴漢ビジュアル」だったために
「コイツ! 痴漢!」と勘違いをして腕をひっ捕らえ、
「痴漢ビジュアル」の男はパニックになり、発作的に逃げ出したがズッコケてしまい、
ニープレスされたあげく、地面に頭をこすりつけられているのだとしたら。


すべての大枠で、事実が事実では無くなっているのだとしたら。


もしそうだとしたら、
眼前にて、男性サラリーマンに馬乗りにされ、
硬く冷たいアスファルトに頭をこすりつけられている、


あの、あの、ハゲ散らかした、服装のダサい、運動不足のせいか下り階段を全速でズッコケてしまった、あの男は・・・
紛れもなく未来の俺だ!


俺は、俺は、痴漢などしない! してたまるか!
だが、だが、ビジュアルオンリーで逮捕される可能性はある!
罪状は「なんとなく っぽいから」とか そんなので・・・。


目の前の光景は、もちろん哀れで、同情の余地無しの光景なんだけど
それは、あの男が痴漢をしたからなんだけども、


目の前の男が、もし俺だったならば、
それは、不当で、不条理で、不憫で・・・。


思わず、また駅を背にして歩き始めた。


目の前の情景がボヤける、それは、眼鏡を外していたせいじゃなく
溢れた涙で、目の前がボヤけたせいだから。


こんな時、眼鏡をかけてたら、涙がうまくふけなかったに違いない。
眼鏡を外しておいて都合の良い時って多いんだよね・・・。


今日、未来の俺が逮捕されました。